いわゆる幼少期からスタートする英語教育の効果は、どれほどなのでしょうか。
「幼児から英語学習をスタートしたほうが、発音がキレイになるので有利」といった主張も、一部の英語教育の専門家から根強く聞かれますね。
ここでは子供の脳の発達・形成という点から、英語学習、なかでも発音学習の効果について考えてみます。
ひとつ前提として覚えておきたいのは、脳科学の分野では、「ほぼ確定的」として専門家の合意が得られている事象は、21世紀の現在ですら、ごく限られたものにすぎないという現実です。
さまざまなメディアを通じて、幼児・子供の英語学習・英語教育について語られることの大半は、脳科学的にはあくまで「仮説のひとつ」に過ぎず、国際的に大規模な実験を何十年も行った末に得られた「証明」ではないのです。
子供の脳は、すさまじいスピードで感覚情報と記憶に関わる変化を繰り返しつつ、10歳くらい迄に一通りの機能を形成するそうです。
(ちなみに、高いレベルの認知機能が最終的に完成するのは20歳頃で、記憶について重要な役割を果たす脳の「海馬」や「前頭連合野」の容積も、この辺りでピークに達するとのことです。)
したがって、脳の発達プロセスを年単位で追い続けなくてはならない実験は特に大変で、信頼できるエビデンス(証拠)が少ないなかどうしても一部の実験結果をもとにした推測が多くなるのが現状です。
大抵の場合、ある専門家が唱える説にはその正反対の説が存在しますし、始末の悪いことに素人目にはどちらの言うことも、それなりにもっともらしく聞こえてしまうものです。
どんなに偉い脳科学や教育の先生の言うことであっても、その主張を鵜呑みにして子供の教育方針を決めていくことは、おすすめできません。
お手軽な方法論に惑わされることなく、子供の教育にかかるさまざまな情報を自分なりに消化した上で、親の責任において判断を下すべきでしょう。
たとえば、ある脳科学の本においては、幼児には学習・経験によって脳のはたらきが変わる「感受性期」が存在する旨が、主張されています。
そしてこの感受性期の脳は、たとえば「L」と「R」の音の違いを自然に聞き分けできることから、「感受性期に外国語に親しませるのが有効」と書かれています。
感受性期の存在や、この主張についての判断は置くとして、大人になった後に「L」と「R」の音の違いが聞き取れるようになることは、実際に英語を聞いたり話したりする上で、それほど重要なことなのでしょうか。
ご承知のとおり、いまや英語はアメリカ・ヨーロッパ諸国の枠を超え、国際語として世界に君臨しています。
国際語とは、「英語を母語とする話者以外の外国人が、広く実用的に使う言語」という意味です(English as a Lingua Franca(リンガフランカとしての英語)とも言います)。
たとえば中国・スペイン・インド・中東の人々と、母語話者のいない世界でコミュニケートするための武器が、現代では英語になるわけです。
ご存知のとおり、日本観光に訪れる外国人は近年激増していますが、「外国人」といっても内訳をみると、その8割がアジア(中国・韓国・台湾)からの観光客です。
子供の成長後は留学や仕事で英米に出かけない限り、日本国内では、彼らアジア系の人々と英語でコミュニケートする機会のほうが多そうですね。
母語話者ではない彼らは、「L」と「R」の音の差異にそれほどこだわるでしょうか?
文章でも会話でも、その時の話の流れ(文脈)から、それらはほぼ確実に区別できることでしょう。
一番ありそうなのは、意図的に「L」と「R」の差異を聞き分けるためのリスニング試験の受験でしょうか。そのような試験をパスしたいなら、受験前にきちんと練習すれば十分対応できるはずです。
脳の形成が変化し続けている幼少期からわざわざ備えておく必要性は、どうやら乏しそうです。
もっと言うなら、子供の英語教育では「発音」よりも、「アクセント(音の強弱)」をつけてしゃべる練習のほうがずっと大事です。
抑揚に乏しい日本語でほとんど行われない、たとえば「口を横にイーッと開く」とか「息をフッと強く吐き出す」といった動作を、子供たちは初めて体験することになります。
これは幼児・子供に楽しく教えるのが難しい分野です。子供を通わせたい英語教室があるならその指導力をチェックすべく、アクセントの教え方をどうしているか質問してみるとよいでしょう。
このように考えていくと、お子さんが成長した後に「幼児期に英米人の発音に触れさせられなかった」と悲観する必要は、どうやらなさそうですね。
英語教室、かかる費用・得られるメリット や 英語を学ぶ目的と意味~子供の親として考えたいこと でも記したとおり、だからといって幼児からの英語教育や英語教室通いを否定するものではありません。
子どもたちに異質な世界に触れる驚きを持たせ、日本以外の世界に関心を持たせることは、たとえ学んだことを将来すっかり忘れてしまったとしても、成長の過程で得た貴重な経験として、彼らの脳と体に刻印されることでしょう。
親としては将来の日本を担うであろう我が子の、グローバル社会への関心を高める機会を、少しでも増やしていきたいものですね。